「極真空手は武道空手である。」極真空手の創始者故大山倍達総裁は常々そう主張されていました。
さらには「日本の武士道こそが世界の指導理念」・「人間精神の芸術品、武士道」・「日本の武道は、また武道精神は日本の歴史が作り出した最高度のものである。精神と人生、生活の細部にまで至り、人間性すべてに及ぶ人間修養法の芸術品とも呼ぶべきものであろう。」とまでその最後の著書に書いておられました。
武道は日本の江戸時代に武士の剣術つまり殺人術を剣道・武士道として人の道とし、殺人剣を活人剣に作り変えた日本の精神哲学です。(これは人類史上初で唯一の奇跡なのですが、日本人にとって当たり前すぎてそのすごさが当の日本人に理解も自覚もされていません。それゆえ世界に対してその奇跡的な価値を明確に説明もできないのです。しかし実はこの奇跡の精神哲学が人類の未来にとって大きな可能性を秘めているのです。)
命がけの真剣による戦い、剣道から始まって、江戸時代の日本では多くの学者たちがあらゆる武術を武道として人を活かす精神哲学を生み出したばかりでなく、武士道を基礎として武士以外の農工商人の生き方をも「人の道、日本人のあり方」として示したのです。
しかもそれは誰か一人の学者の手によるものでなく、日本人の集合知として生まれたのです。ただし集合知の致命的弱点として、明確な理論として提示されているのではなく、なんとなく日本と日本人がそうなっているため、当の日本人が世界に対してその奇跡的価値や意義を説明できないのです。
剣道や武士道世界から生まれた日本の道(どう)哲学の第二原理を紹介しましょう。
世界では好まれない、忌み嫌われる奴隷的労働を日本ではハタ(他者・他人・社会)を楽にする「働くこと」としてやりがい、生きがい、誇り、喜びそして心と魂の尊い修行にまで高めたことです。
これも人類史上唯一の奇跡なのですが、日本人にとって当たり前すぎて、何がすごいのかまったく日本では理解されていません。
実はすべての日本人の精神には多かれ少なかれこのような人類史上唯一の奇跡的な日本の精神哲学、それを代表する武士道精神や武道精神が残っているのです。
だからこそ日本と日本人が世界史にデビューした明治維新以降、日本と日本人は世界で多くの奇跡を実現してきたのです。それも本で詳しく説明します。ただ日本人はその歴史的奇跡にさえ気づいていないのです。その気づいていないこと自体も本当に不思議な奇跡です。
何ゆえに世界中を回って世界のさまざまな文化を肌で知り、日本の精神哲学と比較できた故大山総裁がこれほどまでにこのような日本武道精神を人類最高の精神遺産として重要視したのか?
日本の精神哲学に対し最高の評価をしたのか?
故大山総裁は理論的には説明してはくれませんでした。それゆえ当の極真の武道家にすら明確に理解されていないと思われるのです。
しかし私には故大山総裁が日本の奇跡の歴史を作ってきた日本の精神哲学の根本に武士道精神・武道精神があることを直感的に知っていたとしか思えないのです。
師の日本の武道精神への最大限の評価は決して単なる一武道空手家のひとりよがりではないのです。
しかし日本武道から生まれた奇跡の日本の精神哲学は一般の日本人にも世界の人々にもこのままでは決して理解されないと思われます。
そして勘違いしてはならないのは、日本武道に代表される日本の精神哲学は日本の武道界にとって大切なのではなく、人類の共存と繁栄にとって最重要な精神哲学であるということなのです。
ここを間違えてはならないのです。
日本の武道界でしか価値がないのなら、たいした価値ではありません。
極端に言えばどうでもいいことです。
そうではなく人類の共存と繁栄にとって不可欠の精神哲学だから重要なのです。
何を大げさなと言わないでください。
どうして私がそのような確信を持ったのか?その理由もここで明確に説明したいと思っています。
私の一橋大学の空手部の先輩で一橋総合研究所(一橋総研)の代表である鈴木壮冶氏が2008年9月に出版した「サムライ資本主義」(鈴木壮冶・立川隼人共著、PHP)も同様に「地球益を守るサムライ精神」を説いてくれています。(鈴木先輩は金融のエキスパートで世界の金融を熟知しているといわれる日本人です。石原都政の参与の経験も持っています。)
しかしこれも一部の変わった資本主義の考え方としか捉えられない可能性が大きいと思われます。
なぜなら故大山総裁や鈴木壮冶氏、そして私も武道家ですからそれは日本人にとっての武道の評価ではなく、武道家の武道評価として我田引水、つまり武道家のひとりよがりと捉えられてしまう恐れが大きいのです。
これでは本当の日本の精神哲学・武道精神の価値は一般の日本人にも世界の人々にも伝わりません。
そこで私は武道家の観点から日本武道や日本の精神哲学の価値を評価するのでなく、一般日本人の観点から日本の精神哲学として評価しなおすことが、一般の日本人に日本の精神哲学を理解してもらおうと考えました。
日本の精神哲学については「武士道精神」・「サムライ精神」ということで世界に知られていますが、その本質は世界の人々はもちろん当の日本人すら明確に理解していないと思われます。
それゆえ今後ますます日本の精神遺産が失われてしまう可能性が高いのです。
これは日本にとっての損失というだけでなく実は世界にとっても非常に大きな損失なのです。
これから私の説明する日本の精神哲学「日本の和の哲学」・「日本の道(どう)哲学」は日本ばかりでなく世界に奇跡を起こす力を秘めているからです。
何故なら日本ならびに日本人は江戸時代に開国して世界の歴史にデビューして以来、1868年の明治維新から2009年の現在まで、大きな奇跡を何度も起こしているのですが、それが大きすぎて当たり前となってしまい、その奇跡の原因がこれらの日本人の無意識の精神哲学にあることが理解されていないのです。
この「無意識の日本の精神哲学」の価値は実は日本どころか世界を変える奇跡的な力を持っているといったら大げさと言われるでしょうか?
そうではありません。
私はこの日本の精神哲学以外に世界を救う精神哲学はありえないのではないかとさえ感じています。ただしそれが無意識の精神哲学であるということが最大の弱点でもあるのです。
この日本と日本人の精神哲学を理論的に明確にして日本人自身の自覚的なものとし、世界や世界の人々に説明できるようにするとその力は10倍いや100倍となるはずです。
なぜなら世界に理解され支持され世界中に多くの賛同者や味方ができるからです。
日本の精神哲学はひとり日本人のものにしておくのはもったいないほどすばらしい人類の精神遺産なのです。
外国人も直感で感じているのですが、やはり説明はできません。しかし剣道や柔道・空手道・合気道などになど武道や茶道・華道・香道に入門してくる外国人たちは日本精神の「何か」を求めてきているのです。
しかし当の日本人が「その何か=日本の精神哲学」を言葉や論理で説明できないのでは残念ながらどうしようもないのです。
一体その無意識の精神哲学とは何か?というとそれは「剣道・武士道精神に始まり、逆に剣道・武士道精神をも含んだ日本の道(どう)哲学」であるというのが私の結論なのです。
「道(どう)哲学」とは一体何のことかと思われるでしょう。これは私の造語です。
「道(どう)哲学」とは、これ以外の表現の仕様がない、日本文明が生み出した人類の平和と繁栄にとって最も大切で重要不可欠な精神哲学なのです。
そしてこの「日本の道(どう)哲学」を生み出したのが「命がけの真剣で戦う剣道であり、剣道から生まれた武士道」です。それらを生み出した母体は「日本の和(わ)の哲学」なのです。
これらの哲学そのものが日本が生み出した人類最高の精神哲学・精神文明・精神遺産であるといっても間違いないと思います。これも本で詳しく説明します。
しかもそれらは一部の武道家や茶道・華道・香道家の精神哲学ではありません。
ふつう一般の日本人の商業人・工業人・農業人すべてに当てはまる精神哲学なのです。
つまり日本では一般人の中にサムライが一杯いるのです。
しかも当人はそれを自覚していないのです。
自分でも説明できないのです。
そのためサムライ精神を理解できない人々から逆に「不器用」とか「馬鹿」に見られてしまうのです。
それはそうでしょう、好き好んで自ら損する道、苦労する道を選ぶ人間などありえないからです。
こんなサムライの多い国や国民は世界にありません。
損を覚悟、不利益を覚悟、苦労・苦難の道になることを知った上で、あえて自らその道を選ぶからです。
だからこそ「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」などという魂の叫びの詩(うた)が読まれるのです。これは「自分にとって不利益・損であってもやってしまう、社会のためにやらざるを得ない」という悲痛な覚悟の詩(うた)なのです。
肝心の日本人自身が日本の精神哲学を理解し、説明できないために、サムライ精神が理解できない国々や世界の人々から日本や日本人全体が誤解されたり、悪く見られたり、馬鹿に見られてしまうことさえあります。
そしてこの哲学は封建社会であろうが資本主義社会であろうが共産主義社会であろうが関係ありません。人間中心の人間哲学だからなのです。人類にとって普遍的な価値を持つ平和と繁栄、共存・共栄の精神哲学なのです。
ただし大問題なのはそれが当の日本人にとって無意識の精神哲学であるということであり、自覚もないため世界に説明もできない精神哲学なのです。
そのためその精神哲学から生じる行動が世界の国々や人々に誤解を受けたり正反対に受け取られても日本人にはその理由をうまく説明できないのです。
弁明するどころか間違って自分たちが悪いと勘違いして反省?してしまう精神哲学なのです。
それゆえますます誤解と中傷が世界で繰り返されるのです。本当に残念なことですが・・・。
その結果日本人自体がその高度な精神哲学「道(どう)哲学」を捨ててしまいかねないのです。
そのような無残な結果とならないように、まず日本人が日本人の精神哲学をしっかりと理解し自覚したうえで世界に言葉や論理で明確に、しかも国家的規模・国民的規模で示すことができるようになる必要があります。
この本の目的のひとつはこの無意識の日本の精神哲学を日本人の自覚する精神哲学にし、日本人自身が世界に具体的な言葉や論理で説明できるようにすることなのです。
さてその内容ですが、それは年内に完成予定の本で詳しく示したいと思いますが、ここでは結論だけ書いておきます。
世界の常識「労働は罰であり、最下層階級の人間のやること」に対し、日本の常識は「働くことは、やりがいであり、生きがいであり、誇りであり、喜びであり、ハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく心と魂の修行である。」
世界の常識「敵は皆殺しであり、勝った者、勝ち組がガッツポーズで総取り」に対し、日本の常識は「敵といえども尊敬し敬意を払う。勝っても相手を尊重し活かしガッツポーズはしない、勝ち誇らないし、総取りはしない、分け与えるのです。」
世界の常識「技術や技法・作法は、最後まで単なる技術や技法・作法に過ぎない。人間性とは関係ない。」に対し、日本の常識は「技術や技法・作法は単なる技術や技法・作法ではなく、人の道であり、尊い心と魂の修行である。」
実はこれらの精神哲学は無意識的に深く日本人の心に根付いているのです、当の日本人が気づかないほど深く。
ただし現在その価値が自覚されておらず、論理的にわからないゆえに壊されかけているし、失われつつあるのも事実ですが。
それでは日本の「道(どう)哲学」が生み出す現代的なわかりやすい奇跡をいくつか挙げてみまましょう。
世界に冠たるアメリカ自動車メーカーのビッグスリーが倒産または倒産寸前なのは何故でしょうか?
それは日本のレクサス、トヨタのプリウス、ホンダのインサイト、マツダのデミオなど日本が人間中心に車製造を追求した世界一の製造業道の結果なのです。製造業ではありません。製造業「道」なのです。
製造業どころか日本人なら資本主義を資本主義道にできるのです。共産主義もある理由で難しいでしょうが共産主義道にできる可能性があります。
会社も会社道にできます。というよりすでにしているのです。
会社道だから1番大切なのはお客様、2番が社員、3番が役員・社長、最後が株主なのです。
世界と正反対なのです。
世界は「ホリエモンや村上ファンドのように「金を儲けてどこが悪い?」「会社は株主のもの、株主が一番大切、労働者は奴隷」という勝ち組総取り哲学なのです。
自分たちの会社への税金投入をお願いしに自家用機でやってきたアメリカの自動車メーカービッグスリーのトップたちと違い、倒産した山一證券社長は泣きながら「社員は悪くない。悪いのは自分たち経営者である。」と主張したのです。
これも世界と正反対です。日本以外の世界では決してありえません。
日本人は、すべての技術・技法・作法を人の道、心と魂の修行にしてしまう世界で唯一の国民なのです。
これが日本の道(どう)哲学の第一原理です。そこから「働くことはやりがいであり生きがいであり誇りであり喜びであるばかりでなハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく、心と魂の尊い修行である」とする日本の道(どう)哲学の第二原理が生まれたのです。
日本人はすべての技術・技法・作法や働くことを人の道、心と魂の修行にできる世界で唯一の奇跡の民族であり奇跡の国家なのです。
もちろんサムライ的な生き方をする人々は世界にもいるにはいますが、国民全体がそのような精神を無意識にもっているのは日本しかないということです。
これは我田引水・ひとりよがりでなく、世界の歴史や聖書などを学べば学ぶほど日本人にしかできないとわかります。
ただし絶対に勘違いしないで下さい。これは日本人の選民意識とか思い上がりではありません。
このような精神哲学が日本にうまれたのは日本人の優秀さや努力だけでは説明不可能です。
日本という国の地政学上の位置、つまり海に囲まれた島国という環境から生まれた日本人の大幸運の結果なのです。これについては本で詳しく解説するつもりです。
続けましょう。
日本人はやくざ・悪人でさえ「極道」つまり悪人道にしてしまうのです。
なぜこんなことができるのかというと、人を殺す「剣術」を人を活かす活人剣「剣道」にしてしまったのがその原点です。
日本人はこれ以後すべての「殺しの武術」を人を活かす「活人武道」に作り変えてしまったのです。
柔術が柔道、空手術が空手道に、合気術が合気道に変えられたのです。
こんな奇跡的なことがあっさりとできてしまっているのが日本であり日本人なのです。
そしてあっさりと当たり前にできたがゆえにこれが奇跡を実現していることだと気づかないのも日本人なのです。
世界にも似たことがあるだろうと勘違いしていますが聖書を見ても紀元前2000年前の歴史から見てもそんな実例はありません。
もちろん世界中に武術はありますが、殺しの武術は最後まで殺しの武術であり、活人武道や人の道などありません。ありえないのです。発想外だからです。
「外国にも武術や格闘技はあるから同じようなものだろう」と日本人の感性で絶対に勘違いしてはならないのです。
つづいて日本人はお茶を楽しむ作法、花を生ける作法、香を楽しむ作法さえも茶道・華道・香道にしてしまったのです。
また日本では日本料理はもちろんですが中華料理もフランス料理もイタリア料理も日本が一番うまいとさえ言われています。
それは日本と日本人が職人を尊敬し大切にするからです。
料理道の達人、道を究めた人として尊敬されるからです。
素材と技術を大切にすることから生まれた寿司・刺身・天ぷら・鍋料理・和牛などの料理や和食はこれからも世界に普及し世界の食文化を変えてゆくでしょう。
日本の人気テレビ番組に「料理の鉄人」という料理人の腕自慢を戦わせる番組がありましたが、これを韓国で作ろうとして、おいしいと評判の韓国の料理人を番組で韓国全土に紹介しようとしたところ拒否されたことがあったと聞いています。なぜでしょうか?理由は「こんな料理人などやって汗まみれで働いているところをテレビで親戚一同に知られたら恥だ。」ということだそうです。つまり働くことは下層階級の卑しい、恥ずかしいことという思想がまだ韓国には根強く残っているということなのです。
世界的には韓国のほうが常識であり、日本の方がまだまだ特殊なのです。
さらに日本人は楽しむためのスポーツでさえ自分に厳しいストイックな武道、スポーツ道にしてしまいます。
第2回WBCワールドクラシックベースボールで打てないイチローを使い続ける原監督。
スポーツではありえない選手起用です。監督失格です。
しかし武道の修行ならば求道者の象徴イチローをはずすわけにはいかない。
原監督はまさしく「サムライジャパン」の監督なのです。
最後の日本道は「そうじ道」だと私は考えます。究極は「便所そうじ道」でしょう。
どうしてかは皆さん自身で想像してみてください。
私の目標は日本の高い地位にある人々が便所そうじしている姿を映像にとり、世界中に発信することです。
これが革命的に日本と日本人に対する世界の人々の考え方を変えることができる、日本と日本人そして日本の精神哲学「和(わ)の哲学」・「道(どう)哲学」を世界の人々に知ってもらえる、理解してもらえる大きなきっかけとなると考えています。
これくらいにしておきましょう。
でもいかがでしょうか?
どうしてこの日本の「和の哲学」や「道(どう)哲学とそれを具体化する道(どう)システム」が日本や世界に奇跡を起こすのかおわかりになるでしょうか?
簡単に言えばこの精神哲学によって世界の人々が「アリとキリギリスの故事」にある、仲間の為に働くアリのように生まれ変わらせるのです。しかもそれは「奴隷的な労働」ではなく「やりがい、生きがい、誇りであり、喜びであり、ハタ(他者・他人・社会)を楽にして、自分に厳しく心と魂の尊い修行として働く」のです。世界が良くならないわけがありません。
労働という共産主義的階級的用語では考えられないことですが、日本では働くという言葉の意味は「ハタ(他者・他人・社会)を楽にする」ことだという俗説があります。
ハタ(他者・他人・社会)を楽にする働くこと、そこにやりがい、生きがい、誇り、喜びがあり、働くこと自体を心と魂の尊い修行と捉える日本の精神哲学「和(わ)の哲学」・「道(どう)哲学」の本質があるのです。
実はそれらの日本の精神哲学の母体であり、もっとも象徴的な哲学が剣道哲学・武士道哲学であり武道哲学なのです。
何とか今年中に出版して「日本と日本人の素晴らしさ」「日本の道(どう)哲学の奇跡的価値」を日本人と世界に声を大にして訴えたいと決意しています。 押忍