浜井派理念 


極真空手は創始者故大山倍達総裁が 「頭は低く目は高く口慎んで心広く、孝を原点として他を益する」
という理念の元に作り上げた地上最強の武道空手であります。

 

「頭は低く目は高く」とは謙虚で在るが、目標はあくまで高く最高峰を目指すと言う意味であり、

「口慎んで心広く」とは余計なことは極力語らず、心を広くして他人を受け入れるという意味であり、

「孝を原点として他を益す」とは親孝行を感謝の原点として他者に感謝の念を持ち、その他人や世間・社会に利益をもたらすように生きよという意味なのです。

したがって極真の理念は要約すれば「力と感謝」となります。

 

極真空手は「力と感謝」の武道空手である

 

人間が生きてゆくためには勉強でもスポーツでも音楽でも絵画でも、仕事でも選挙でもあらゆるジャンルで強さ・美しさという「力」が必要です。
「力」が無ければ生きることさえ出来ないのが現実です。しかし「力」の理念・思想だけでは仮に勝者・強者となっても、回りは敵だけの殺伐たる世界しか見出せないのです。それゆえ「力」に加えて他人・社会・国家・世界への「感謝」が人間そして人類にはどうしても必要なのです。

 人々の和、人類の平和の実現には武道の「力と感謝」の哲学が不可欠なのです。
戦いから始まったにもかかわらず、その結果敵味方共に平和共存して終わる武道哲学が人類平和への唯一の手がかりなのです。
なぜなら武道こそ、その原点は「エゴ丸出しの殺し合いの術=武術」から始まり「自らを殺そうとした敵にさえも敬意を評し許し、最終的には共存していかなければならない人としての生き方、人類のあるべき人間モデル=サムライ(SAMURAI)を示した哲学」だからです。

そういう意味で、極真武道空手は単なる格闘技・スポーツではなく柔道や剣道と同様に武道として「人としての理想の生き方」「戦わざるを得ない人類の共存の在り方」を示す日本の武道文化・武道遺産であります。
さらに言えば、日本武道は今や日本だけの文化遺産と言うより、人類の生き方モデルとしての世界遺産といっても過言ではありません。

 だからこそ武道は「武道界にだけ通用する人の道」といった狭い捉え方をしてはならないのです。それは社会における武道の真の価値を最小化してしまう間違った考え方なのです。資本主義社会での金権至上主義、能力万能主義、弱肉強食の世界や民族・国家間のエゴむき出しの現実においてさえ、人として人間として人類としてどう生きるかを提示してゆくことが武道の使命なのです。

 

入門の心得

 

入門動機は「強くなりたい」「喧嘩・格闘技で負けたくない」「護身術を身に付けたい」「健康になりたい」という単純なものでも構わないのです。
しかしせっかく極真空手をやるのならば「単なるスポーツではない武道の意義が存在するのだ」と言うことだけは知っておいて下さい。
武道としての極真空手の稽古は

  1. 合理的な稽古
  2. 行としての忍耐・我慢・根気を求める無茶苦茶な稽古
  3. 人としての礼儀と節度
    (親・子、師・弟子、先生・生徒、上司・部下、年長者・年少者、先輩・後輩の区別と言動)
  4. 躾三原則(あいさつ<勇気>・返事<自信>・あとしまつ<責任感>)
  5. 他人に奉仕する活動(大会協力・近所の清掃その他)

など5つの活動をすべて実行していきます。



代表プロフィール 

国際空手道連盟極真会館 浜井派

代表    浜井識安

Noriyasu Hamai

 

1954年2月15日生まれ。石川県七尾市出身。


1972年に一橋大学法学部へ入学し、同年7月に池袋の極真会館本部道場へ入門
第5回オープントーナメント全日本空手道選手権大会6位、第9回全日本選手権4位に入賞
1977年に黒帯を取得し、大山総裁より直々に石川県支部長に任命される

 

以後、選手育成に尽力

下記二人の有名選手を育成。極真空手の名伯楽と称せられるようになった。
特に増田選手はミスターK-1アンディ・フグ選手の空手時代の最強ライバルとして

空手界・格闘技界で有名。

 

多くの弟子を得る一方、実業家としてもレンタルビデオ業の株式会社ビデオシティ

(のちの株式会社ゲオシティ)を起業し、北陸地方のレンタルビデオ業界を席巻した。

日本全国に支部を構える一方で、2007年10月中国の大連市に道場を開設。

現在は、中国大連を中心に中国全土に5つの常設道場を開設し、首都・北京にも支部を開設している。


水口 敏夫
第14回全日本準優勝(1982年)
第15回全日本6位(1983年)
第3回世界大会出場
第16回全日本3位(1984年)

増田 章 
第15回全日本5位(1983年)
第3回世界大会出場
第17回全日本3位(1985年)
第18回全日本準優勝(1986年)
第4回世界大会3位(1987年)
第21回全日本4位(1989年)
第22回全日本優勝(1990年)
第5回世界大会準優勝(1991年)